渋滞


車の列は道路のままに続く。
右に曲がれば右へ、左に曲がれば左へ、真直ぐなところは真直ぐに。
道路が山かげに隠れるまで、東へ西へ見える限り車の列が続いている。
どの車も目的の方向へ同じ方向へ向いたままじっとしている。
まったく動かない。

倒木があるらしい。

道路は、いつもなら、仕事に、遊びに、病院に、買い物に、
たくさんの生活の目的を果たしてくれる。

大きなものから小さなものまで日本の隅々まで血管のようにつながり、
規則にそって車の流れを滞らせることはない。
わたしたちの都合に見事にこたえる。

自然はそれを邪魔する。
たった一本の倒木が流れを止める。
血管内に瘤をつくるように。
町は脳梗塞を起こし、人の生活は動かなくなる。

わたしたちの頭が作り出したしくみは自然によってみごとに、簡単に壊される。




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# by teccyan1 | 2018-08-09 11:22 | 日々のこと | Comments(2)


ベスト16に進出、惜しくもベスト8ならず。
日本代表は強かった。そして運が良かった。ベスト16に進みながら負けたチームをみれば、ポルトガル、アルゼンチン、スペイン、コロンビアなど、そうそうたる名前が並ぶ。日本はその戦いぶりで評判になり日本でも称賛の声高し。

しかしながら、初戦コロンビアの退場者で相手が10人になったこと、これは運が良かったとしか思えない。相手が日本をみくびってくれたおかげで油断が生まれ、あのピンチにあわてたものと思われる。1点ビハインドくらいコロンビアの実力があれば当然逆転できる、はず。事実、彼らは予選を勝ち抜き決勝トーナメントへ進んだ。1人足りなかったことが最後まで響いたようにみえる。

日本は同じく決勝トーナメントへ進んだが、セネガルに引き分け、ポーランドには負け、勝ったコロンビアは10人というハンデ付きだった。これで予選突破できたのは運がいいとしか思えない。ただし、実力のないチームでは突破できなかった。また、勝ち抜くための準備ができていないチームでは突破できなかった。やはり決勝トーナメントへ進むべくして進んだ強いチームなのだ。言い直そう、日本は運が良かったのではなく、運を呼び込んだのだ。

日本代表は強かった、そして運を呼び込むツキを持っていた。そのツキはおそらく西野さんという監督のおかげではなかろうか。昔ブラジルに勝ったことがあるという西野監督はチームを見る目と試合を見る目をもち、運を呼ぶ監督であった。



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# by teccyan1 | 2018-07-08 20:51 | Comments(0)


予選最終試合の感想。日本代表がこういう戦い方ができるようになった成長に驚き。フランス大会初出場のころなら、試合終了までボールを回して逃げ切るなんて技術も精神力もなかったろう。弱いチームから中堅へとチームが選手が確実に成熟している。批判を受ける試合を選ばなくてはならなかったのは、まだ強豪ではない日本代表の試練の一つだろう。

結果的に、決勝トーナメントに進出できたことは監督、選手、観客みんながよろこび、その最後のプレーには監督、選手、観客みんなががっかりした。日本チームはルールにのっとっているので責任はない。観客はこんな試合を望んではいなかっただろうから不満なのは当然。これはつまり、こういうゲームを行うことを可能にさせたFIFAのルールが悪いのだ。

最後の決め手は「フェアプレーポイント」なるものであったらしいが、日本の最後のプレーはフェアプレーであったろうか。もし、無気力試合としてイエローカード、フェアプレーポイントは優位に機能しないでセネガルの予選突破、となるルールがあれば、このような試合はなかっただろう。つまりFIFAがこんなことが起こることを想定していなかった想像力の欠如と、詰めの甘さが、サッカーファンをがっかりさせたのだ。

ただ、この策をセネガル対コロンビア戦がまだ終わっていないのに始めたことは不思議。セネガルが同点にしたら、という心配はなかったのだろうか。



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# by teccyan1 | 2018-07-01 09:16 | Comments(0)

三つの目


「ひとはものを見るとき、神の目、人の目、動物の目で同時に見ている」

先月の末日、友人と電話で話した時に教えてもらった。彼は文章を書いている。二十数年前に出会い、貴重な会話をする大切な友人である。

彼の言葉は、まるでカメラのピントがスッと合うように、今までもやもやしていたことを鮮明に見せてくれることがある。これまでも彼の言葉に刺激されどおしだが、これもそのひとつ。この言葉が自分にはどのように入ってきたのか、入っていないのか、ここにメモしておく。

何かを選ぶとき、決意するとき、
私の中の動物が、
私の中の人が、
私の中の神が、
知らず知らず働いている。

私の
身は求め、
考えは良しとし、
心は満足する。
私は、
この身からのがれることはできず、
考えに惑わされ、
心はとらえどころがない。

これから私は、どんな時にこの三つの目を思い出すのだろうか。そして何を見つけるのだろうか。



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# by teccyan1 | 2018-06-03 18:55 | ちょっと思いついて | Comments(2)

気持ちのいい時間

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コーヒーボーイ光店。

木漏れ日が笑いながらリズムと響きを奏でる。
木の葉がゆらぎながら歌う。
コーヒーが冷めてしまうと思って、あわてて飲み干す。
それでも音楽はやまない。



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# by teccyan1 | 2018-05-25 14:02 | 日々のこと | Comments(0)

フランシス・ジャムの詩

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「ジャム詩集」(新潮社文庫)、フランシス・ジャム、堀口大学訳

最近、田園風景を思わせる音楽や文章がより好きになった。生活の中で、目で見て美しいもの、心地よい時間、それはいい音楽を聴いていることと同じものと思えるようになった。確信をもてるようになったのは、友人から「なつかしさ」という大切なキーワードをもらったから。ひとつの答えをはかる重要な、そして便利な言葉になっている。

例えば「プラテーロと私」というフアン・ラモン・ヒメネスの散文詩が、その詩につけられた朗読のための、同名のカステル・ヌオーヴォ=テデスコの曲が、それを演奏するアンドレス・セゴビアのギターの響きが、「芸術というもの」という意識や感動から、実感としての「ある感覚」となって自分の中へ消化され定着する。美しい時間を過ごした時と同じように。

そうして、その思いが感覚が正しいかどうか、ヒメネスが好んだであろうロンサールの詩をさぐってみたり、フランシス・ジャムの詩を読んだり、再びヘッセの詩を文章を読みなおしてみたり、熱心に聞いてきたクラシック音楽というものを聞きなおしてみたりしている。特に、フランシス・ジャムの詩を読むことは、未体験だけに興味をもっている。

ジャム詩集の終わりにある「フランシス・ジャム小伝」のなかで、フランシス・ジャム本人が文章として公表したというジャンミズム宣言のなかの一文は、大切な確信的な文章として心に残る。

「私は思ふ、唯一の詩派が存在すべきであると、さうしてそれはジャンミズムであると。さてまたジャンミズムの詩人は、児童が出来るだけ正確に習字手本の文字を真似て書くやうに、美しい小鳥を、花を、さてはやさしくふくれた乳房と愛す可き脚をもった少女をす寫(うつ)す可きである。」



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# by teccyan1 | 2018-05-22 10:37 | 日々のこと | Comments(0)

自分のこと、音楽のこと、本のこと。
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