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数量化できないこと

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「すべては音楽から生まれる 脳とシューベルト」(茂木健一郎、PHP新書)

音楽を聞くことを趣味としている人間にはすごくうれしい文章で、ますますクラシック音楽を聞きたくなる。

脳の研究とは、脳の活動である神経細胞の活動をシステムとして数理化すること、と理解していた著者が、クオリアなるキーワードによって、数理化できないことがあると認識、その具体的事例として音楽をとりあげ、音楽のすばらしさを語る。クオリアとは「質」や「状態」をあらわすラテン語という。

”生きながらにして生まれ変わるような体験。それが音楽であり、音楽が生命哲学の根幹にかかわるジャンルと呼ばれる所以も、ここにあるのかもしれない。”

こういう文章を読んだだけで、ますます音楽を聞く気になるではないか。脳の活動を脳内交響楽といってみたり、外からの刺激としての音楽とについて書かれているのを読むとき、いろいろと想像したり考えをめぐらしたりできる。

クラシックでは、作曲技法の緻密さやあざやかさを神業のように説明されるし、そのようなものこそ良い音楽と書かれていたりする。なるほど、それは、頭の良い人たちの脳内交響曲を刺激しているのだな、と思ったりする。頭の悪いわたしは、そういう音楽が良い音楽なんだとは、言いたくない。気分的に・・・くやしいから。

自分が判断するのは酔う音楽と目が覚める音楽と言うのはあるように思う。村上春樹は素敵な音楽とそうでない音楽があると書いていたが、それもわかる。専門家の、説明による名曲の条件は、専門家タイプ、つまり学者のような思考趣味でなければ良い音楽はわからないのか、とつい気分がわるくなる。なるほど作家の村上春樹なんか、やはり学者並みなのかもしれない、しかあし、それなら単純な時間の短い曲は良い音楽といえないのか、と反論したくなるわけだ。

脳科学者のおすみつきをもって、学者を嫌うという、劣等感丸出しで読んでいるわけだが、すくなくとも、やはりコンピュータ的思考だけで何かの質をはかることはできない、ということはいえるだろう。




こちらもよろしく。
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by teccyan1 | 2013-07-18 21:48 | | Comments(0)

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