想像力の欠如

 最近のプールや川での水難事故について。「人類月に立つ」というアメリカのドラマで使われた台詞「想像力の欠如」を思い出す。
 アメリカのロケット「アポロ1号」は、発射台での通信機器のテスト中、火災を起こし、三人の宇宙飛行士の命が失なわれる。事故の原因を探る調査委員会では、犯人探しが行われるが、テストパイロットで、宇宙飛行士でもある一人の船長が、委員会の証言でこう言う、
「私たちテストパイロットは、プロだ、無茶はしない。しかし、死ぬことも覚悟している。でも、死ぬのは宇宙でだと思っていた。まさか、地球上で死ぬとは思わなかった。事故の責任をいえば、NASAも悪い、ボーイング社も悪い、私も悪い。そのことに気がつかなかったから。想像力の欠如、それが残念だ。」

 事故の責任は、しかるべき機関によって真剣に、問われるのは当然として、わたしたちは、簡単に起こりうる可能性を想像して行動を起こしたのだろうかと問われるべきではなかろうか。
 例えば、市民プールの事故の場合、運営会社も市も、監視員も、その場で異変に気付いた大人達も、その当事者のそれぞれの瞬間において、生命の安全を守るための何かを自分の心の内で殺してしまったということはないだろうか。
 「よくわからないから」「責任者にまかせて」「担当者がやるよ」「よけいなことは言わない方がいい」と私たちは逃げる術は良く知っている。
 ここで言いたいのは責任問題ではない。前述の宇宙飛行士のように、それが残念だと後悔できる心を持っているかどうかということで、私たち大人の問題であり、日本の社会の質の問題につながるのだ。
 逆に、地下鉄の線路に飛び込む度胸を持てと飛躍したことを言うつもりもない。プールで失われた命は、あまりにも常識的なことが欠如した結果であると、誰もが思うはずだ。配慮とか想像力が、「利益追求」や「犯人探し」の横行によって、人の心から消し去られているように思う。
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by teccyan1 | 2006-08-05 22:10 | Comments(0)

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