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古いアパート

 両親は結婚して間もない頃、徳山市下上の父の実家に父の家族と同居していたが、私が生まれてしばらくして、近くのアパートへ引っ越した。私の最も古い記憶がこのアパートである。

 山陽本線がすぐそばを通っていて、アパートの敷地と線路を隔てるのは、草のしげった土手だけだった。蒸気機関車やこげ茶色の客車が目の前をよく通ったように思う。だが、音のうるささはいっこうに覚えていない。
 アパートの敷地には建物のすぐ隣に空き地があって、そこを挟んで1軒の平家があった。その家には私と同い年くらいの子供がいて、「ターケ」と呼んでいた。
 彼との思い出はひとつ。言い争いが高じてケンカになったらしく、わたしがつまづいて土手の草むらに転がったとき、ふりあおぐと、ターケが石を両手で持ち上げようとして肩のところまでいったところだった。
 わたしはあの石で頭を割られるのだと思った。動転していた私は大泣きしながらかけつけた母に「石で殴られた」と訴え続けた。ターケの母親とうちの母親との話になったようだが、石で殴ったらしいと話すと、ターケは自分の母親に、そんなことはしていないと、彼も泣きながら訴えていたような記憶がある。
 後から思い返せば、母に訴えられるくらいなので、大怪我などしていないし、どう考えても大事にはいたっているはずがない。彼にはぬれぎぬをきせて悪かったと思う。またケンカの原因もなんであったか覚えていない。

 小さな安普請のアパートは戸を開けると靴をそろえるだけの広さからすぐに10cmくらいの高さで板の間になり、次の部屋もカーテンのような仕切りが開いていれば、簡単にのぞくことができた。この風景はわたしがよく遊びにいっていた他所の部屋で、しきりの向うにはステレオがあり、そこから私の好きな「ヤムスタパンヤア、ムウタアパン」という歌が聞こえているのだった。

 成人してからここを訪れたことがあるが、あのときのアパートのあるはずもなく、ターケの家もなく、かわりに大きな、しかしそれでも相当古い会社の寮に使われているアパートが建っていた。ここらは道もずいぶん変わったので、本当にそこであったかどうかも疑わしい。
 ただ、そこは今でも草むらや田んぼに囲まれて寂れていて、昔を偲ばせるに十分だった。
by teccyan1 | 2006-10-05 18:14 | Comments(0)

自分のこと、音楽のこと、本のこと。

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