2006年 10月 26日
夏目漱石のこころ
Kというイニシャルで呼ばれる登場人物がいたはずだが、と思いながら読んでいたが、なかなかでてこない。途中で「中 両親と私」とあるのをみて初めて3部からなることを知る。それで、中だけとばして「下 先生と遺書」を読む。
読んでいて、何かだらだらとした感じがあって、読み終わってしばらくしてから、そういえばすごく良い文章があったなあとか、よくこれだけ表現できるなとか、書けるものだなあと、うっすらと思われてくる。
太宰治の「津軽」もそうだったが、何かにつけて言い訳がましいというか、まわりくどいような言い回しがあって、誰に対しておことわりしているのだろうか、という思いが残る。またトルストイやヘッセを読んだ時のような、ひとつの文ではっとさせられたり、目がさめるような衝撃を、私は見つけられない。ヘッセなどに比べて、直接的でなく、どことなく核の周囲をめぐっているような焦れったさを感じる。
やはり青春時代に本を読まなかっただけのことはあるわけで、文章を読む感性に何かが欠けているのだろう。一方で、何度か読むと、じわっとくるものがあるかもしれないという期待感もある。やはり日本人が日本語で書いたものだから身体に入る何かがあるようにも感じる。その感じが何かまだ言葉で言えないだけかもしれないのだ。
by teccyan1
| 2006-10-26 14:26
| 本
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