2007年 05月 05日
アルバン・ベルクのベートーヴェン 弦楽四重奏曲
定番と聞いていたアルバン・ベルク四重奏団によるベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第15、16番」のCDを手に入れる。
2曲続けて聞いて、あっという間に終わった。こんなに短かったかなと思うほど。まちがいなく愛聴盤になる。印象深い東京カルテットとはちがうが、すばらしい。
アルバン・ベルクの演奏は、昔作曲された音楽を聞いているという感覚がない。音楽が演奏家の体に充分にいきわたり現代人としての音楽語で語られる。概念だけが響く「そのような」音楽とはちがう。演奏というのは、概念からどれだけ身体の音になるかがその完成度の高さであろう。
音楽は身体の言語であると思っている。音楽の概念は完全でも身体は不完全だ。だから、不完全な響きから完全な概念を生み出すところに演奏のすばらしさがある。概念の完全とは、物理的音の集まりの完全とは違うと思う。身体が不完全であるのなら、完全な概念のためには、物理的音の集まりは、反対にどこかいびつになるほうが自然であろう。
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サブイボ
at 2007-05-05 20:47
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てっちゃんと初めて会い、一緒に飯塚に向かう列車の中で
話しをしたことを思い出した。
「名演奏家の音は、音符に忠実じゃない・・」とか何とか。
ま、完全を目指すところ(つまり今は不完全)に芸術はある、
とわたしは思ってます。
話しをしたことを思い出した。
「名演奏家の音は、音符に忠実じゃない・・」とか何とか。
ま、完全を目指すところ(つまり今は不完全)に芸術はある、
とわたしは思ってます。
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てっちゃん
at 2007-05-05 21:03
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音楽とか演奏とか、言葉にすると本質が消える。言っちゃうと「違う」となるんだな。少なくとも芸術は見えないところにある、かな。
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サブイボ
at 2007-05-06 17:26
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芸術は、実物を体感(ライブ)するんがええね~。
by teccyan1
| 2007-05-05 20:15
| クラシック音楽
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Comments(3)