2007年 10月 26日
私の読書
斜面とスピードに負けないように自分の体力と技術とをはかりながらすべっていくスキーのようなものだ。慣れれば、たいへん楽しい。しかし、慣れない斜面は神経をとがらす。時折、こぶもある。斜面に飛び出す時にはかなり勇気がいるようなものだ。
音を聴くことが好きでなけりゃ、響きの中に酔うことが好きでなけりゃ、音楽など聞けない。では、文字を読むことが好きでなけりゃ、文章を解読することが気持ちよくなけりゃ文学など読まない、のだろうか。
さて、私は口癖のように「小説は読まない」というが、ヘッセの本は読んだ。ヘッセは小説じゃないと言いわけするが、他人には説得力はないだろう。わたしは文字を読む快感というのはあまり感じたことはない。疲れる。興味がつのれば読めるが、そうでないと1行も読む気にはならない。
「こころ」を読んだおかげで、夏目漱石に興味を持った。だが他の作品を読むとなると、たいそう骨がおれることになる。長い。そこで解説本をかじったりしてなんとかその苦労を軽減させようと目論んでみる。
確かに要点をつかみやすくしてくれるが、それでは作品が体に入ってこない。どうしてもこつこつと読まねばならぬ、という結論にいたる。
どうしてそんな思いをして読もうとするのかと問えば、興味があるからとしか言えない。でもおっくうな気持ちは隠せない。
スポーツをしたいが、長い距離を走るのはいやだ、と似ている。体力のない者がスポーツするためにはすこしずつ走るしかない。走って休んで、走って、休んで座って、走りかけて。それで私は文章をかじっては休み、かじって休み、はじめから読んで、途中で読んで、ちょっと浮気をし、また食い散らしながら読んでいく。
うまく滑れるまで、雪の斜面を、こぶを、すべってころんで、またすべる。
by teccyan1
| 2007-10-26 21:53
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