2008年 06月 01日
シゲティのシャコンヌ
うわさに違わぬ名演で、最初の音を聴くと、最後までひきつけられた。机についているとき背中からラジオの音が聞こえてきたが、スピーカーに対面して座り直した。たまに、テレビやラジオでこういう経験する。聴き終わるとなぜか「そのとおりだ」と納得した。
だがおもしろいことに、シゲティはネットで販売されているCD批評をみると、意見が大きく別れる。感動派は「精神の演奏」といい、反対派は「技術が下手なので一生懸命なだけ」という。たいてい名演は良い感想しかない書かないものだがおもしろい。
技術的なことを指摘されるとそうかもしれないという点も聞こえる。音色が汚いと指摘されればそうも思う。だが、この演奏はそういう批判を受けながらもゆるがない、「誇り」「気高さ」という言葉が似合う、そびえたつような輝きがある。
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みよし
at 2008-06-01 16:31
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じつはシゲティはほんとうに下手なんです。音程もちょっとばかりあやしいところもあるし。でも最近のヴァイオリニストの超絶的なテクニックは、聴いてるときにはすばらしい!って思うんですが、終わった後で「いま何を聴いたっけ?」って感じなんですよね。テクニックに驚嘆したいんじゃなく
私たちは音楽を聴きたいのです。
ブラボー!シゲティ。
私たちは音楽を聴きたいのです。
ブラボー!シゲティ。
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てっちゃん
at 2008-06-01 22:03
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そうですか、ほんとうに下手っていうのはおもしろいですね。それだけ今の演奏家はすごいってことですが、こういうところに音楽の不思議さを感じます。
また、多くの人の感想も録音芸術としてのものに対してであって、私もそうですが、けっして生の演奏に対してではないのでそういうところも特徴的です。でもこういう演奏を聴けるということはやはりすばらしいことなんだと、最近しみじみと思うようになりました。
また、多くの人の感想も録音芸術としてのものに対してであって、私もそうですが、けっして生の演奏に対してではないのでそういうところも特徴的です。でもこういう演奏を聴けるということはやはりすばらしいことなんだと、最近しみじみと思うようになりました。
by teccyan1
| 2008-06-01 09:37
| クラシック音楽
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Comments(2)