2008年 11月 02日
プラテーロとわたし 山下和仁
「プラテーロとわたし」 山下和仁(g)、テレサ・ベルガンサ(朗読)、水野貴子(s)、日本クラウン株式会社 CRCC-7010~11。
なんといっても全曲演奏、カステルヌオーヴォ・テデスコ作曲作品190。しかもスペイン人によるスペイン語の朗読。若いころの山下和仁の演奏を思うと荒っぽくならないか心配だったが、それは無用だった。彼らしいおおらかな音楽と繊細なタッチで楽しませる。
作品190は全部で4部あって、それぞれは別物で関連はなく、プラテーロは都合4回死ぬことになっている。セゴビアと福田進一(朗読入り)は全曲28曲のうち、それぞれ10曲と15曲を選んでおり内容も充実しているが、一応そこにないのが、「夕暮れのあそび」「狂人」「結核の少女」「追憶」「白い蝶」「四月の牧歌」「カナリアが死んだ」「11月の牧歌」「回復期」「道ばたの花」「日曜日」「カーニバル」。
岩波文庫の解説によると散文詩自体はプラテーロの死で終わるので一応一貫した物語だてになっているものの、作られた時間もばらばらだし追加されたものもあるので、詩はひとつひとつ独立したものとして読むべきだとしてある。そういう意味ではこの曲も作曲者によって自由に組まれたものだから、音楽の機能的構造的に問題がなければ、演奏者が組みなおしてもおかしくない。
少し残念なのは朗読。江守徹のようなイメージの広がりが感じられない。たとえスペイン語でも優れた語り手なら訴えかけるものはあるはず。スペイン語がわからないだけかもしれないが。
作品の内容はセゴビアも福田進一も問題なく表現しているにしても、とにかく、作曲者が作った形はここにある。ソプラノも1曲増えてちょっといいかも。
by teccyan1
| 2008-11-02 23:10
| クラシック・ギター音楽
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